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1999年7月、私はロンドン・ヒースロー空港に降り立った。 日本財務省(当時大蔵省)から出向し、ホワイトホールの一角で、2年間、現実に日々の英国行政の現場で働くという、得がたい体験の始まりである。
日本財務省と英国大蔵省からそれぞれ若手職員を派遣しあうこの出向制度は、1999年から開始されたものである。 幸運にもその初代の職員として派遣され、英国大蔵省の親切で心優しい人々のお陰で、大変有意義な2年間を過ごすことができた。
私は、また、1995年8月から1997年6月まで、LSE(L大学高等法律研究院)に留学する機会を得た。 LSE卒業後、高等法律研究院では、金融を題材にして日英の法制度比較についての博士論文に取り組んできたが、今回の赴任では、私的に高等法律研究院での活動(セミナーやコンファレンス)に参加して、多種多様な英国に触れる機会を多数得ることができた。
さて、ロンドン・ヒースロー空港に降り立つと、厳しいことで知られる英国の入国審査で、何の目的で来たのか、どれくらい滞在するのか、給料は誰から支払われるのかなど質問された。 幸いなことに、今後英国大蔵省で交換職員として働くことを証明する手紙を英国大蔵省から、また、私の給料や滞在費が日本政府から支払われることを証明する手紙をN財務省からもらっていたので、それを見せて、無事入国することができた。
自分で言うのも変だが、私の立場は何か暖昧で説明しにくいという印象を持った。 通常、日本の公務員が海外赴任する場合、外交官として、派遣職員扱いで国際機関などの職員として、長期出張扱いとして、などのパターンが有りうる。

今回の私の場合は、の長期出張扱いで、給料や滞在費用などは全て日本政府から支給された。 英国でも国家公務員になるためには、原則として国籍要件を満たすことが必要で、英国政府と私の間には何ら雇用関係が生じない以上、英国政府から給料が支給されないのは当然のことである。
一方で、英国大蔵省に机をもらうからには、少しでも英国の役人らしく振舞い、英国の役人らしい視点を持とうと心に誓ってもいた。 英国の制度をしっかりと学ぶとともに、日本の公務員の実力を思う存分見せつけようと思って臨んだのである。
こんな意気込みは、数日するとすっかり空回りし、自信を完全に失ってしまった。 恥ずかしいことだが、英国大蔵省の同僚の言っていることが分からず、議論についていけないのである。
留学時代には、ゼミなどの場でも議論にそれなりに参加することができたのに、今回はどうも勝手が違う。 しばらくして気づいたのだが、英語には「国際英語としての英語」と「母国語としての英語」があるようなのだ。
国際機関や国際企業、あるいは世界各国から学生が集まるような大学は、既に舞台が多文化、多民族主義に則って設定されていて、そこは国際英語の世界である。 ところが、ある国の、それも政府機関で働くとなると、多元主義とは全く正反対の舞台に乗り込むことになる。
国際英語の世界では、英語を母国語としない人達が多数いるわけで、多少のミスはプロローク許されるし、皆お互いを理解しようと、ある程度垣根を低くしあうような一定のルールが働く。 例えば、大学のゼミで何か発言しようとすると、ネイティブでない人も何人かいて、とりあえず、発言を最後まで聞こうという雰囲気があるし、助け舟を出してくれる学生や先生もいる。
ところが、「母国語としての英語」の世界になると、そうはいかない。 誰も待ってくれないし、遠慮がない。
とにかく主張を最初に述べなければ始まらない。 これを端的に議論の現場で力強く言えなくては話にならない。
ところが案外難しい。 背景説明や前置き、経緯などをすっ飛ばしてポンポンと議論が進むから、頭の中で英語を日本語に置き換え、その逆をしている間に、話す機会を逸してしまう。

そんなことが続いて、「あいつは馬鹿なやつだ」と思われても困るので、会議が終ったあと、自分の考えを文章でまとめて会議の参加者にメールを送るということを何度かやってみた。 一向に評価されないし無視されるということを知った。
こんなところは、日本と正反対である。 日本では、議論の現場で素晴らしい対応ができなくても、後でそれなりの内容のペーパーを用意して配ったりすると、案外効果があったりする。
結局、日本人と英国人の考え方の違いであろう。 間違いを恐れることなく、とにかく自分の意見を外に向かって話すということが英国では徹底している。
逆に日本では、間違いを犯すことにことさら慎重になる傾向がある。 だから、議論の現場であまり練れていない意見を言うよりは、用意してきたコメントだけを喋って、あとは議論が終ったあと熟慮した上で、意見を紙にして配ったりする。
ちなみに、こんな日本人の姿勢が、日本人が、なかなか英語が上手くならない原因の一つでもあるように思う。 語学力をつけるために最も重要なことは喋ることであるにもかかわらず、日本人の場合、間違いを犯すことへの恐怖心ばかりが先に立って、口から言葉がなかなか出てこないのである。
さて、読者の皆様は、本当に些細な事柄と思われるであろうが、私が経験した英国の人との考え方、視点の違いについて、二つほど例をあげよう。 赴任して12カ月ほどたったある日、同僚の1人から、「いつも身ぎれいにしているね」と言われた。
どうも、私が、毎日、ワイシャツにネクタイで現れることを指しているらしい。 「日本では皆そうなのか」と聞いてくる。

「まあ、大体そうかな」と答えると、「どうして」と尋ねられてしまった。 どう答えたらよいか分からず、「そういえば、日本ではカジュアル・フライデーというのがあって、金曜日だけはラフな恰好で出勤してもいいなんて試みをしているところもある」などと口走ったのが運のつきである。
今度は、「どうして、金曜日だけなの」と聞かれてしまった。 確かに、英国大蔵省では、曜日を問わず、ラフな恰好をした人達が廊下を歩いていたりする。
洋服の話をしたので、ついでと言ってはなんだが、研修を兼ねて、課の仲間と一泊二日で出かけた時のことも書こう。 平日で研修を兼ねていることもあり、私は、服装はスーツがいいのか、あるいはカジュアルでいいのか迷ってしまった。
そこで、どんな服で行くべきか尋ねてみたら、「君が快適なら、何でもいいよ」と言われた。 結局、彼らには「○○を着なければいけない」という発想自体がないのである。
基準になるのは、自分が嫌な思いをしないかということだけである。 「場違いな服を着てきてしまった」と思うかどうかは、個人で異なるから、それぞれで判断することになる。
次の例も非常に些細なものであるが、私が戸惑ったことの一つに、昼食をどこで食べるのかということがあった。 日本であれば課の先輩後輩4〜5人と役所の中の食堂に行くことが多い。
皆大体同じランチセットを食べる。 ところが、赴任して1〜2週間、英国大蔵省にも立派な食堂があるのだが、昼食を食べに行こうという雰囲気ではない。
思い切って、同僚の1人に「昼食はどうしているのか」と尋ねたら、「夕方、終業時間より一時間早く帰りたいから、お昼休みは取らない」と言う。 この答えには、さすがにカルチャーショックを受けた。

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